Issue 013  中野公揮

ダンスに学ぶ、これからの人間と世界

Photograph by Lucille Reyboz

 パリを拠点に活動する作曲家、ピアニストの中野公揮に東京で取材する予定がついたのは3月下旬、春に予定されていた国内演奏活動の合間を縫って時間をいただくつもりでいた。しかし新型コロナウイルスの影響が急速に拡大したため帰国延期となった中野と対面したのは、朝のパリと夕方の東京をつなぐビデオ通話を通じてのことだった。

 

 先日2作目のアルバム「Pre-Choreographed」を発表した中野。「音楽とダンス、二つのアートフォームがとても近い状態にあった時代へのサウダージ」を意味する本アルバムを構成するのは、クラシック音楽が基盤にありながら多様性が交差するピアノ音楽だ。コロナ以前に思案されたコンセプトと作品ではあるが、このアルバムの前後について伺う過程で中野が語ったのは、はからずも壮大な価値転換の渦中にいる我々がまさに今の今必要とする、ダンスを通して見つめるべきこれからの人間、そして世界のあり方だった。

先人の作品の解釈者から自らの表現者へ

 

 1988年福岡生まれの中野は、幼少期から表現者としての芽に自ら気づく早熟な子どもだったようだ。また、結果として現在の音楽表現の姿勢につながるヒントがこの頃すでに潜んでいたのかもしれない。

 

 「音楽教育が盛んな幼稚園で褒められたことをきっかけに、親に音楽をやりたいと頼んだのを覚えてます。3歳の時のことです。親も特に専門的な知識がなかったものだから、深く考えず『音楽だったらピアノ』と地元福岡の近所にあった音楽教室に通い始めました。昔から自分を表現するツールとしてピアノを捉えていたので、譜面から崩して自由に演奏しがちでした。」

 

 後日談だが、SNSで中野がバッハのピアノ曲を演奏している様子を投稿しているのを見た。筆者自身もクラシックピアノを習っていたこともあり、機械的で反復要素も多いバッハの古典をここまで情感たっぷりに温度を持たせて弾く人がいるのかと驚いた。譜面通りが苦手と語るのも深く納得した。

 

 「ところが音楽高校に入学して、より本格的で専門性の高い教育を受ける中で『クラシック音楽の奏者は作曲者の意図というものがまず初めにあり、それを研究し、解釈して演奏するのが仕事』ということに徐々に気づきはじめて。高校を卒業した頃から違和感の歪みみたいなのがやってきて、決定していた留学も取りやめ、一度音楽自体離れることも視野にクラシックピアノをやめたんです。といっても2週間くらいですけど、この時期が後の僕にとって大きな転機となりました。

当時一緒に住んでいた兄が映画や演劇、芸術哲学全般を学んでいた影響で僕も興味があったので、初めは映画監督や舞台の演出家を目指すということも考えました。でも、やはり3歳から音楽しかやってきていなかったので、まずは音楽を通して創作をした方がいいだろうと思い、東京藝大の作曲科に入学しました。」

 

 大学入学後は兄である中野裕太と現King Gnu常田大希、フランス人チェロ奏者ロビン・デュプイと結成したバンドGAS LAWにおいて作曲活動を精力的に行う。特にデュプイとの出会いをとおし実現したパリ公演をきっかけに、フランスにおいて単独コンサート活動のチャンスにも幾度か恵まれた。そこへ観客として来ていた、現在所属するインディペンデントレーベルNø Førmat(ノー・フォーマット)のスタッフが中野の才能に一目置くことに。デュプイとのデュオのために書き溜めていた何十ものチェロのレパートリーがあったことから、有名フランス人チェリストのヴァンサン・セガールとの共演が実現しNø Førmatと契約し、ファーストアルバム「Lift」を発表するに至った。

Koki Nakano & Vincent Segal - Introduction I (Official Video)

 こうしてフランスに拠点を移した中野。芸術の都で音楽以外の芸術に触れる機会を多く持つようになり、次第にダンスに惹かれていったのは、作曲時の「とある癖」も少なからず影響していたのかもしれない。

 

 「もともとダンスや振付とまでいかなくとも、人の動きを思い浮かべて音楽を作るというのは癖としてありました。少し振り向く、ちょっと歩くとか。体を想像すると、僕らが経験し得る自然なエネルギーの流れをビジュアル化できるからです。例えばアルバムのタイトルにもなった『Lift』は、腕を震わせながらゆっくり相手のダンサーをリフトするという具体的な動きをイメージして作ったものです。

 ダンスの世界をより身近に知るきっかけになったのはダンサー柿崎麻莉子さんがきっかけです。2018年秋、彼女が所属するL-E-VがDiorのファッションショーに出演する前日に共通の友人を介して出会いました。その約1ヶ月後に現代アートフェアFIACのプログラムとして、パリのオランジュリー美術館で上演された『Sara』で彼女の踊りを初めて観ました。」

 

 この頃の中野は、ちょうど新作がいくつか出来上がりつつあったものの、どのような方向性を持たせてアルバムとして完成させるべきか迷っていたと言う。これまでのアプローチ方法に限界を感じていた状態で観た「Sara」は、煮詰まっていた中野にふと一筋の光をもたらした。

 

 「僕らがインディビジュアリティ(個体性)を獲得する前の、全てのものが漂ってて曖昧で境界のない状態というのを想起できたんですね。まだ胎児が羊水に浮かんでいて臍の緒を通して何か大きな存在と繋がってる状態、つまり誰もが生まれる前に経験している原初的な状態というか。またそのような感覚がダンスと音楽という元来非常に近かった、二つのアートフォームの関係についても考えることに繋がっていきました。」

FIAC公式instagramより「Sara」上演時映像

ダンスを通して気づいた

これからの本質的なクリエイション

 

 柿崎麻莉子との出会い以降、世界中で上演されているL-E-VのLove Cycleシリーズ(OCD Love、Love Chapter 2、Chapter 3: Brutal Journey of the Heart)は全て観ているという中野。しかし「Sara」はアルバム完成の骨子を掴んだきっかけともなったことから強烈な印象を刻む。

 

 「『Sara』が表現として非常に理想的だと思ったことがいくつかあります。まず、6人のダンサーが振付家シャロン・エイアールのコントロール下にあることを感じさせない自由さ。それぞれがインディビジュアリティと能動性を保ちながら動いて、それでいて緻密なコンポジションとともに自然な一体感が立ち上がっているんですね。シャロン・エイアールがL-E-Vをバンドに例えることがあると柿崎さんから聞いたことがありますが、それぞれのキャラクターとコンテクストありきのクリエイションが成されているのが明らかです。代えの効かない真のコラボレーション。それをカンパニー規模で実現しているのがとにかく驚きでした。それぞれのダンサーが元来持っているキャラクターを最大限に引き出し、その調和のあり方をコンポジションし、作品としてのメッセージを浮かび上がらせるということは本当に豊かな方法だと感じました。またその姿勢は、現代美術家・名和晃平さんとのコラボレーションを通じて学んだ、すでに存在しているものや素材そのものの声を聞き、最大限に生かす『もの派』的な物の見方にもどこか共通する部分を感じ、とても魅力的でした。」

 

 筆者はL-E-Vの作品は直接鑑賞したことはないものの、インターネット上に投稿されている動画を観て最も印象的だったのは、ダンサーそれぞれの人間本来としてのキャラクターが存分に表れていると言う点である。肉体的な個性に富んだダンサーたちを根底で強固に繋ぐ、目に見えない精神、心の部分がテンションの一体感として醸成されている。まさに新しい「ユニゾン」のかたちであり、ヘブライ語で「心臓、心」を意味するカンパニー名にも通じる、本質そのものである。幼少期から譜面を超え自身の表現ツールとしてピアノを演奏してきた中野が反応したのも自然な流れなのかもしれない。

 

 「シャロン・エイアールのクリエイションを見ていると、舞台上で途中で仮に誰か転んでも問題ないような気さえしてしまいます。仮に誰かが体調悪くてうまく動けなかったとしても、それはそれで、その人のその時の動きとして作品が内包してしまえるように思えるからです。自分のその日のエネルギー、体で今日その作品をどう踊るかがある程度ダンサーに任され、それぞれの能動性の範囲を含んだコンポジションは、作品や活動に対する非常に緻密なビジョンがあってこそだと思いました。スタジオリハーサルの見学やダンサーたちとの交流を通じてもその創作姿勢の素晴らしさを実感しました。」

 

 L-E-Vの作品と創作プロセスに触れ感銘を受けた結果、中野は一アーティストとして自身のクリエイションの方向性までも見直すこととなる。

 

 「僕がいくつかの素晴らしいコンテンポラリー・ダンスの作品から学んだのは、可変的な『ある状態』を作るということ。 例えば子供が産まれたら、とある時期まではもちろん親の影響を確実に受けてイデオロギーを形成すると思いますが、いつかは判断力や自主性、選ぶ行動によって、それ自体として存在するようになる。能動性をもってそれそのものが語り始めるまで、非常に強く影響する必要があるわけですけれども、可変性を包括しそれを許容するようなものこそが強度を持った作品だと思います。とても抽象的な表現ですが、例えば誰かがどこかをつついたら、ちゃんと影響されて他の形に変わってしまえるような。それでも、それそのものの本質的な作品性やムード、メッセージは保たれる『状態』を作りたいと思うようになりました。」

  

シャロン・エイアールやL-E-V以外で影響を受けたダンサーとして話題に挙がったのは、アルバム収録曲「Near-Perfect Synchronization」のMVに参加したアマラ・ディアノール。セネガルにルーツがあり、ヒップホップのバックグラウンドも持つ彼も現在欧州で評価が高まっている新進振付家の一人だ。

 「アマラ・ディアノールもまた最もインスピレーションを受けているクリエーターの一人です。彼の作品『Quelque Part au Milieu de L'Infini(永遠のある何処かに)』にはヒップホップのサンプリングの概念が応用されていて、サンプラーが置いてあるステージ上でダンサー3人が代わる代わる踊って、音楽が終わるごとにまたサンプラーのスイッチを押して次のセクションの音楽を再生させるというものです。休む時間も人によって違うからすごくライブ感があります。

型にガチガチにはめるプレッシャーがなく、かといってコンポジションとして緩いわけでもなく、時間と体のエネルギーの扱い方が絶妙なバランスを突いてくるのが彼の魅力です。全ての時間を掬っていった先で必要あれば離して流すというか、感覚的な表現ですけど…こういう感覚で時間と向き合えたら、無理なくいろんな豊かさを生んでいけるんじゃないか。従来の西洋的ではない、今の時代が求めてるサステナブルな発展の仕方に対するあらゆるヒントがアマラのクリエイションの中にはあると感じました。」

Koki Nakano – Near-Perfect Synchronization (Official Video)

無限の複雑性を孕むことを受け入れ提示していく

 

 文字情報に編集してしまうことが惜しいくらい、中野がそれぞれのダンサーについて語る声音からは純粋な感動と敬う姿勢が伝わってくる。あいにくビデオ通話の回線が悪く、途中から実質的な電話取材となったことも相まって尚更だ。

続いて中野は、バットシェバ舞踊団の元芸術監督オハッド・ナハリンの名を挙げた。彼もまた従来の創作を見直す一因となったが、シャロン・エイアールやアマラ・ディアノールと異なり対の方向を目指すきっかけであったと話す。

 

 「オハッド・ナハリンの『デカダンス』を初めて見た時は本当に涙が止まらず、素晴らしいと深く感動しました。しかし徹底的にコントロールして結晶化させ、その純度で勝負するのとは違う方法を探りたいと、徐々にクリエイションについて多くのことを考え始めるようになりました。」

 

 オハッド・ナハリンが考案した、イメージや言葉の指示をもとに体の動きを即興的に重ねていくガガ・メソッドも、いわば個人性を重んじた動きを発見するためのものではある。しかしシャロン・エイアールやアマラ・ディアノールの作品に触れるとそれすらも(誤解を恐れずに敢えて言えば)旧時代のクリエイションと感じられてしまうのだろう。いや、芸術の範疇を越えて中野がそれぞれのダンサーから学んでいるのは、これからの世界のあり方とそれに対する関わり方でもあると言える。

 

 「多様性やサステナビリティという言葉が盛んに叫ばれていますが、そのような感覚を単に従来の価値観に付加するような方法で向き合うことに皆が違和感や限界を感じていて、科学的、社会的な反動が今まさに世界的に起きているような気がします。今までの価値観が大きく揺らされて覆ろうとしているような時だとさえ感じます。それは次のステップに行くために必要なものなのだろうと思いますが、従来の方法で乗り越えることはあり得ないとも思います。」

 

 クリエイションの世界に限らず、合理性を求め人間本来の身体性や複雑性をないがしろにした結果、社会全体に歪みや限界が生まれている状況が起きていることは言うまでもない。コロナウイルスの蔓延によって引き起こされた様々なクライシスは、これまで人間がいつの間にか雁字搦めにされてきたあらゆるシステムの本質を炙り出す契機となっているのではないか。私たち人間が健やかに生きていくための本来的な感覚を、中野はダンスを通して改めて認識したのだ。

 

 「全ての事象はグラデーションでしかなく、半分の半分が無限に存在するように、点というものや何かの絶対的な中心というものさえ存在しないのだと思います。誰もが無限に続く『揺れ』を中心に感じながら生き続け、これを受け入れて抱きしめる、または時には身を委ねるような感覚が必要なのではないだろうかと感じています。自分自身の限りある生と、世界とは切り離された自分の肉体とともに、そのような世界とどう付き合い、戯れるか。シャロン・エイアールやアマラ・ディアノールのような振付家を含め、偉大なダンサーたちが僕に見せてくれるのはその無限の可能性と美しさです。」

 

根幹の精神を共有するからこそ実現する

自走型コラボレーション

 

 ダンスからの学びを通して新作アルバム「Pre-Choreographed」完成に向けた骨子を掴んだ中野にとって、同世代で同じ日本人である柿崎麻莉子との交流は特に大きなものがあった。

 

 「柿崎さんとはこのような話をよくします。彼女は直感的でスピーディに嗅覚で掴んでいくタイプの人で、言葉にしなくともこれからのクリエイションのあり方にすごく敏感に反応しています。一緒にピアノとダンスの即興セッションをした時も、可変性の余白を残して自由な空間を立ち表せてくれる動きのコンビネーションの発想を沢山持っていて驚きました。この時の感覚をもとにアルバムを具体的にまとめていく作業が始まりました。」

Koki Nakano – Bloomer (Official Video)

 「アルバムに収録されているいくつかの作品は、ガガ・メソッドを用いてる柿崎さんがステージでソロを踊る時に使っている言葉から取られています。例えば『Genou Respirant』は柿崎さんの『呼吸する膝』という言葉から。体の動きを誘発するために選ぶ共感覚的な言葉の組み合わせが面白く、多くのインスピレーションをもらいました。」

 

 『Pre-Choreographed』発表に合わせ制作された一連のMVは、フランスの気鋭クリエイティブエージェンシーArtBridgeも参加し制作されている。このプロジェクトは同時代感覚を持ったクリエイターたちが自然発生的に繋がるプロセスそのものでもあった。奇跡的な偶然の連続を思い返しながら、中野は今も高揚気味に話す。

 

 「コンセプトを伝えるためにいくつか映像を作りたいと考えていたものの、どう進めていいか分からず途方にくれていたんです。その時僕のコンサートに来てくれたArtBridgeのボス、オリヴィエが僕の考えてることにとても共感してくれて。コンセプトのプレゼンテーションを終えた後、一番最初に出てきた言葉が『L-E-Vにコンタクトしなきゃいけない』だったんです。何人かの監督候補から選んだイスラエル系フランス人のベンジャマン・セロウッシも開口一番L-E-Vの名前を出して、しかもシャロン・エイアールと友達で。そのようなクリエイションがこれから大事になってくると予感している人たちの感覚のネットワークがすでにできていたんです。」

 

 これまでに触れた柿崎麻莉子やアマル・ディアノール以外でのキャスティングで徹底されたのは、中野が「アルバムの制作過程で実際に作品を観賞し、自分が純粋に心から感動した人たちとコラボレーションを行う」ということ。中野は厳密なディレクションをせず、コンセプト共有以降は全てセロウッシ監督に絶大な信頼をおいて任せたという。

 

 「最初に純粋に夢見たのは、僕がとても素敵だと思える、時代の感覚を体現していて、共有できる人たちに僕の音楽で踊ってもらうことでした。その人たちを、ただただ映像で捉えて多くの人と共有したかった。素晴らしいダンスは世界との触れ合い方の多くのヒントを、文字通り『体現』してくれます。そこから僕自身学びたいと思ったし、学べないんだったら僕にとってのクリエイションはなんだと。このプロジェクトを通して出会った人々は全員良き友人です。」

 

 「『Train-Train』の振付を担当したダミアン・ジャレは名和晃平さんを通して知り合い、今回のプロジェクトを通して交流を深めました。彼からは自身の創作と環境との関わり方など、大きな視点で創作を行う姿勢に多くのことを学んでいます。とても忙しい人で、1年以上追いかけてようやくコラボレーションが実現し作った映像なので、とても思い入れも深いです。」

Koki Nakano - Train-Train (Official video)

「『Faire le Poirier』に出演するイムレ・ヴァン・オプスタルとベン・グリーンはバットシェバ舞踊団のダンサー(2020年5月時点)。僕が『デカダンス』でも観ていた二人です。ベンジャマン監督がイムレと知り合いで、彼女と以前からコラボレーションしたがっていたところを僕の企画をきっかけに実現しました。」

Koki Nakano - Faire le Poirier (Official video)

 根幹の精神を共有できていれば後は育った子供のように自走する。まさに先の「可変的な状態を作るクリエイション」に通ずる。中野の声からは、関わったプロジェクトメンバーへの敬意が垣間見える。

 

 「ディレクターやプロダクション、レーベルを含め、チームのみんなが『これはそれぞれの個人プロジェクトだ』などと言ってくれて、粘りつよく企画の実現に向けダンサーとの交渉を続け、一つ一つのビデオが在るべき形で実現するまで制約を設けずどこまでも待ってくれました。異なるバックグラウンドを持った人たちが、それぞれの価値観が確かに重なりあうスペースを見つけ、各自の表現をし出来上がったようなプロジェクトです。」

 

 各所で起こる自発がひとつの物語の流れとして編まれていく。話を聞きながらまるでひとつの映画を見ているような感覚になった。そういえば、映画監督になる選択肢を持った10代の頃と現在でつながることはあるのだろうか。

 

 「今も映画は好きです。特に群像劇が昔から大好きです、ポール・トーマス・アンダーソンの『マグノリア』とか。いくつかのストーリーラインが関係ないように同時進行して絡み合っていくのは、クリエイションの過程で味わえているので今は実際に作らなくてもいいと思うようになりました(笑)」

 

音楽とダンスはある一つの現象の二つの面

 

 複雑性を受け入れて真正面から向かっていく。そして精神的な共有を信じ、他者へ委ねながらも起きた事象を自分の作品とする。カテゴライゼーションやコントロールを是とした価値感覚からすると非常に勇気が必要なことだ。しかし元来、音楽とダンスの関係にはそのポテンシャルがあったのかもしれないと、「Pre-Choreographed」のコンセプトを話す中野の言葉を聞いて強く感じた。

 

 「音は動きなしに生み出せないもの。音楽もダンスも同じ波動、エネルギーから生まれる、ある一つの現象の二つの面だと信じています。音楽には身体性が内包されているというより、同じものだと思ってます。音楽とダンスの関係や距離感を問う実験が過去に沢山ありましたが、僕は『音楽を見、ダンスを聞く』という、生涯にわたりストラヴィンスキーと協働関係にあったジョージ・バランシンの言葉が大好きです。二つのアートフォームが潜在的にどこまでも一体であることができることを表しています。」

 

 中野が送ってくれた「Pre-Choreographed」のコンセプトには、次の一文も記されていた。

「誰でも自分自身のオーセンティシティと深く向き合うことで、アートをそれぞれの方法で発展、進化させていける」

 オーセンティシティ。それは時に名前をつけ難く相反する要素が共存する状態、そしていかようにも変わりうる可能性を秘めているかけがえのない人間であること。昨今の音楽では従来の「メジャーコード、マイナーコードと喜怒哀楽の関係」の方程式が成立しなくなってきているというのも、複雑性を包容するこれからの時代感覚との相似的な現象なのではないか。音楽とダンスが一体であるとすれば、中野も話すようにこれからのダンスも人間や世界の無限の可能性や美しさを提示しうる。それに触れた者もまた、それぞれの本質に向かい合う勇気を得ることだろう。

Interview:  瀧瀬 彩恵

Photograph by Nori Edamatsu 

中野公揮 (Koki Nakano)

 

1988年福岡市生まれ。3歳よりピアノを始める。桐朋女子高等学校音楽科(共学)ピアノ専攻を卒業。東京芸術大学作曲科入学後パリに拠点を移す。ニューヨーク / リンカーンセンター、ロンドン / Cadogan Hall、パリ / ルーブル美術館、フランス文化・通信省、シャトレ座などで演奏。作品はFrance Musique,RFI, NPO Radio 4,BBCなどヨーロッパ各地で放送されている。2016年にファーストアルバム「LIFT」をパリのレーベルNø Førmat!から発表。これまでに彫刻家・名和晃平、振付家・ダミアン・ジャレ、チェリスト・ヴァンサン・セガールなどとコラボレーションを行なう。

 

 

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